ラ・ベル・フェロニエール|顔は背け、目だけが戻ってくる肖像画を角度で測る

ラ・ベル・フェロニエール|顔は背け、目だけが戻ってくる肖像画を角度で測る

ジネヴラ・デ・ベンチの背後には、ネズ(ジュニパー)の茂みと遠景がありました。モナ・リザには、蛇行する道と岩山が広がっています。ところが、その間に描かれたこの一枚には背景がありません。暗い闇と、手前の石の縁だけです。

ルーヴルでこの絵の前に立つと、人物がこちらへ押し出されてくるように感じます。目力が強く、押し切られそうになります。この圧力はどこから来るのか。今回は、4枚の肖像画を同じ手順で測って確かめました。

作品の基本情報

  • 制作地はミラノ。制作は1490〜1498年頃とされます。
  • 油彩・クルミ材の板で、サイズは63×45cmです。
  • フランソワ1世の旧蔵品で、現在はルーヴル美術館が所蔵しています。
  • 「ラ・ベル・フェロニエール(美しき鉄商人の妻)」という通称は、ルーヴルが「誤った呼称」としています。1709年の財産目録の作成時に、ニコラ・バイイが付けた名とされ、モデルは今も不明です。
  • 帰属については、ミラノ周辺の工房の関与を含め議論があります。

比較に使った4枚は、ジネヴラ・デ・ベンチ、白貂を抱く貴婦人、ラ・ベル・フェロニエール、モナ・リザです。いずれもレオナルドが描いた女性の肖像画です。

測り方

画像上に点を打ち、次の指標を同じ手順で出しました。

  • 肩の傾き:左右の肩の点を結び、水平線との角度を測る。
  • 目の傾き:左右の瞳孔を結び、水平線との角度を測る。
  • 鼻の軸:鼻筋の線を、垂直線との角度で測る。
  • 顔の向き指標:左右の目の幅の差を、合計で割った値(%)。画面左の目が広ければ + で、画面右向きです。
  • 視線のずれ:瞳が目の中央からどちらへ寄るかを、目幅に対する比で表す。+は瞳が画面右へ寄ることを示す。

方向の取り決めに注意してください。画面の右と、人物の右は逆です。この記事では、すべて「画面」の左右で書きます。

傾きの比較:ミラノ期に「動き」が現れる

画面内の傾き(+は右側が下がる)は次のとおりです。

作品肩目鼻鼻と目のずれ
モナ・リザ+12.6°-0.8°-1.0°1.8°
ジネヴラ-9.7°+0.5°+2.1°2.6°
フェロニエール+7.6°-4.5°+0.9°3.6°
白貂+9.9°-4.2°+7.6°3.4°

※鼻と目のずれは、図の符号どおりに「鼻の軸の傾き」と「目の線の傾き」を足し合わせた値の大きさです。

最初に、筆者の予想は外れました。体と顔の向きが最も鋭角なのはフェロニエールだと考えていましたが、傾きの数値では、肩の傾きが最大なのはモナ・リザ、鼻の軸の傾きが最大なのは白貂です。フェロニエールが最大なのは、目の傾きと、鼻と目のずれだけで、しかも白貂とは僅差です。

一方で、はっきり読み取れる違いがあります。ジネヴラとモナ・リザは、目がほぼ水平です(±1°以内)。これに対して、ミラノ期の白貂とフェロニエールは、目が揃って約-4.3°傾いています。肩は右が下がり、目は右が上がる。逆向きの傾きが重なって、静止した構えに動きが入っています。

顔の向きと視線:反対回転が圧力の正体

傾きだけでは、「向き」は分かりません。そこで、左右の目の幅と、瞳の位置を測りました。

作品目幅比(画面左:画面右)顔の向き指標視線のずれ
モナ・リザ0.74-14.8%(画面左向き)+0.125
ジネヴラ1.30+13.1%(画面右向き)-0.03(ほぼ中央)
フェロニエール0.72-16.6%(画面左向き)+0.144
白貂1.55+21.7%(画面右向き)+0.238

読み取れることは4つです。

  1. 顔の向きの強さは、白貂が最大で、フェロニエールが2番手です。ジネヴラとモナ・リザは同程度です。体と顔の向きが最も鋭いのは、白貂だと言えます。
  2. フェロニエールとモナ・リザは、顔が画面左を向き、瞳は画面右へ寄っています。顔を背けたまま、目だけが鑑賞者へ戻ってくる反対回転です。
  3. 白貂は、顔も瞳も画面右へ向かいます。視線は鑑賞者を通り越して、画面の外へ抜けます。
  4. ジネヴラは、瞳がほぼ中央にあり、顔の軸に沿って静かに見ています。

フェロニエールの圧力は、顔の向きの強さではなく、この反対回転にあると読めます。顔を背けられているのに、目だけが追ってくる。そのせめぎ合いが、「押し切られそう」な感覚の正体だと考えます。ただし、モナ・リザとの差(視線のずれ 0.144 と 0.125)は小さく、誤差の範囲かもしれません。

なぜ背景がないのか

ジネヴラより後に描かれたこの肖像画に、背景がない理由を考えます。まず、根拠が確かな事実があります。

《白貂を抱く貴婦人》の黒い背景は、後世の上塗りです。 クラクフ国立美術館などの調査で、元の背景は灰青色から暗灰色の無地だったことが分かっています。これが後の時代(18〜19世紀とされます)に黒く塗られました。つまり、「レオナルドの肖像は黒い背景」という印象は、一部が後世の産物です。

では、フェロニエールの暗い地は当初のものでしょうか。今回の調査では、この点を確かめた技術調査の記録を見つけられませんでした。以下は、確度を分けた読みです。

  • 作品の都合(推測):手前の石の縁と、暗い地だけが残る構図です。縁はネーデルラントの肖像画に見られる装置で、鑑賞者と人物の間に距離を作ります。暗い地は、光を受けた顔の立体感を最大にします。
  • レオナルド自身の理論(解釈):明暗の対比で人物を浮き上がらせる考えは、『絵画論』の記述と整合します。
  • ミラノ宮廷の流行(要検証):宮廷肖像の型として語られますが、同時代の作例との比較が必要です。
  • 後世の加筆・経年(未確認):白貂と同じことが起きていないかは、調査記録の確認が必要です。

背景を取り除いたのではなく、背景の代わりに「視線」と「石の縁」で空間を作った。そう読むことはできます。ただし、暗い地が当初のものかどうかは、未確定です。

写真撮影に応用する

この測り方は、ポートレート撮影の物差しになります。

角度の指標が示すもの

測るもの撮影での意味
肩線の傾き水平だと安定、傾くと動きと柔らかさが出る
目線の傾き頭の傾き。水平だと格式、わずかに傾くと親しみが出る
左右の目幅比顔がカメラに対して何度回っているか
瞳の位置顔の向きとは別に、視線をどちらへ逃がすか

フェロニエールの構造は、撮影の用語では「体を斜めに向け、顔だけカメラへ戻し、目線もカメラへ返す」ポーズです。体、顔、視線の3つを、別々に設計できます。顔を背けたまま目線だけを戻すと、正面から撮るより視線が強く感じられます。逆に、顔と視線を同じ方向へ向けると、視線がカメラを通り越して、物語性が出ます。

背景を暗くして人物を明るくする効果

  • 人の視線は、最も明るく、コントラストが強い場所へ向かいます。背景を暗くすると、目と唇に視線が集まります。
  • 背景の情報が消えると奥行きの手がかりが減り、明るい顔が前へ出て見えます。
  • 暗い背景だけだと平面的になりがちです。フェロニエールの石の縁のように、手前に机や手、前ボケを入れると、距離感が出ます。

撮影の要点

  • 被写体と背景の距離を取り、背景に光を当てない(光は距離の二乗で弱まります)。
  • 光は斜め前から当てて、頬に陰影を作る。
  • 測光は顔に合わせ、背景の暗さに引っ張られないようにする。
  • 黒い服と黒い背景は混ざるので、髪や肩に弱い縁取りの光を入れる。
  • ISOは低めにして、暗部に階調を残す。

アングル

  • 基本は目の高さです。下から撮ると威厳、上から撮ると従属的に見えやすくなります。
  • 顔の向きは、人物が回るのでも、カメラが動くのでも、同じように変わります。
  • 人物は中望遠(85〜135mm前後)が基本です。広角で近づくと、顔の中心が誇張され、指標が乱れます。

これらは傾向であって、絶対的な法則ではありません。目幅比は目の個人差にも影響されるので、自分の写真どうしの相対比較として使ってください。

まとめ

  • 体と顔の向きが最も鋭いのは、フェロニエールではなく白貂でした。
  • フェロニエールの圧力は、顔を画面左へ背けたまま、瞳を画面右へ戻す反対回転にあります。同じ構造はモナ・リザにもありますが、フェロニエールのほうがやや強く、差は小さいです。
  • 背景がない理由は、石の縁と視線で空間を作る構図だと読めます。ただし、暗い地が当初のものかどうかは、未確定です。

この分析の限界

  • 点は画像から手で打ったもので、数ピクセルの誤差があります。数値は絶対値ではなく、同じ手順で測った相対比較として読んでください。
  • 目幅比は、目の左右の元々の非対称にも影響されます。
  • 4作品は、撮影条件や画像の状態が異なります。

出典


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