- 2026年5月8日
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2023年度 クマ被害者マップで読み解く:地質学・重力異常・食料不足の三角関係
はじめに2023年は記録的なクマの出没件数が全国で報告された年だった。農林水産省や各都道府県……

2023年、東北地方ではツキノワグマによる人身被害が相次いだ。秋田市、盛岡市、仙台市近郊――いずれも山間部ではなく、人が暮らす市街地での出来事だ。なぜクマは山を下り、街へやってくるのか。その答えを探るために、GIS(地理情報システム)を使ってクマの移動ルートを可視化した。
人身被害が記録された地点を出発点に、クマの生息地であるブナ林の分布と標高データを重ね合わせ、実際にクマが移動したと考えられるルートを割り出した。使用したデータは以下の通りだ。
■移動コスト(抵抗値)の設定根拠
GISでクマの移動ルートを算出する際、地形ごとに「通りにくさ」を数値化した。この抵抗値が高いほど、クマはそのルートを避けるとモデルが判断する。
| 地形分類 | 抵抗値 | 設定の根拠 |
|---|---|---|
| 沢沿い・谷底(傾斜5°未満) | 1(最小) | 移動エネルギーが最小、水場あり、植生密 |
| ブナ林内(傾斜5〜15°) | 2 | 主要な採食・生息域、隠れ場所が豊富 |
| 混交林・スギ植林(傾斜5〜15°) | 3 | 食料は少ないが移動可能、人の気配は低い |
| 草地・低木帯(傾斜問わず) | 5 | 身を隠せず開放的、クマが嫌う環境 |
| 急傾斜地(傾斜30°以上) | 7 | 移動コスト高、体重に対してエネルギー消耗大 |
| 農地・耕作地 | 8 | 人の活動域、昼間は回避傾向が強い |
| 市街地・舗装道路 | 10(最大) | 通常は忌避。ただし極度の飢餓状態では突破 |
■抵抗値はクマの行動特性と矛盾しないか
この数値設定は、研究で記録されているツキノワグマの行動特性と以下のように対応している。
開けた場所を嫌う → 草地・農地の抵抗値を高く設定
ツキノワグマは視界が開けた環境を本能的に避ける。天敵に発見されるリスクと、身を隠す場所がないストレスが重なるためだ。草地(抵抗値5)と農地(8)を高く設定したのはこの特性による。
急傾斜を嫌う → 傾斜30°以上で抵抗値7
体重80〜150kgのツキノワグマにとって急斜面の登降は消耗が大きい。GPS追跡研究でも、クマは同じ目的地に向かう際に傾斜の緩いルートを選ぶことが繰り返し確認されている。
沢筋を好む → 抵抗値1(最小)
沢沿いは傾斜が緩く、植生が密で、水場もある。採食・休息・移動の三条件を同時に満たす地形であり、GPS追跡データでも沢筋への集中が顕著に見られる。今回のモデルがこのルートを最優先としたのは、この特性を正確に反映している。
市街地は「壁」ではなく「最後の選択肢」
市街地の抵抗値を最大(10)にしつつもゼロ(通過不可)にしなかったのは意図的だ。通常のクマは市街地を避けるが、2023年の被害事例はすべて「回避しきれなかった」ケースだった。飢餓状態では抵抗値10の壁を越えてくる――そのリアリティをモデルに残した。
ポイントは「沢ルート」だ。ツキノワグマは急傾斜を嫌い、谷筋や沢沿いを好んで移動することが知られている。傾斜が緩く、水場があり、植生が豊かな谷底は、クマにとって最も効率的な移動経路となる。この特性をもとに、標高・傾斜・谷地形の3要素を組み合わせてルートを設定した。
今回算出した回廊ルートの距離は11〜28km、平均約22kmだった。この数字はクマの生態と照らし合わせると妥当な範囲に収まる。
通常、ツキノワグマの1日の行動距離は5〜15km程度だ。しかし食料が不足した年には行動範囲が大きく広がり、20〜30kmを移動した記録も報告されている。特にブナの凶作年には、山中の食料が極端に減少するため、クマは普段では考えられないほど遠くまで食料を求めて歩く。今回のルートはまさにその「食料を求めた移動」を地形データから再現したものだ。
クマが人を襲う理由の一つとして、私は飢餓状態が挙げられると推察する。
十分に食料を確保できていないクマは、極度のストレスと空腹の中で行動する。通常であれば人の気配を察知して逃げるクマも、飢えた状態では人間との距離感が変わり、警戒心が薄れる。さらに、慣れない市街地という環境でのパニックも重なり、人身被害につながるケースが増える。
2023年の被害急増の背景にも、ブナの結実不良による食料不足が指摘されている。クマが「凶暴化」したのではなく、追い詰められた結果として人里に現れざるを得なかった――そう考えると、対策のあり方も変わってくるはずだ。
■沢ルートを知れば、備えが変わる
GISで浮かび上がった回廊の出口――山から里へクマが降りてくる接続点――は、実は地域住民が日常的に「なんとなく怖い」と感じてきた場所と重なることが多い。沢沿いの農道、谷筋に面した畑の端、廃屋の裏手。データが示すルートは、長年の経験知と一致している。
では、住民個人レベルで何ができるか。
① 誘引物の除去――クマを呼び込まない
クマが山を下りても、里に「食べるものがなければ」集落に定着しない。柿・栗・リンゴなどの廃果実を放置しないこと、生ゴミを屋外に出さないこと。これは古くからいわれることだが、今回のGIS分析と重ねると意味が変わる。回廊の出口付近――沢が農地や集落に接するエリア――での誘引物除去が特に重要だ。全域でやる必要はなく、「出口」に集中することで効果が高まる。
② 草の管理――クマに見通しを与える
クマは身を隠せる場所を好む。沢沿いや農地の縁の草を刈り、見通しを確保することは、クマにとって「居心地の悪い場所」にすることを意味する。集落全体を管理するのは難しいが、沢の出口付近だけ優先的に刈ることならできる。
③ 鈴・ラジオより「時間帯」の回避
熊鈴やラジオの携帯はよく推奨されるが、それ以上に有効なのは「クマが動く時間帯を避けること」だ。ツキノワグマは早朝と夕暮れに最も活発になる。ブナ凶作年の秋、沢沿いを歩くなら日中に限定する。この単純なルール変更が、遭遇リスクを大きく下げる。
④ 目撃情報をGISに還す
「クマを見た」という情報が自治体に届いても、多くの場合そこで止まってしまう。今後はその目撃地点をGISの回廊データと照合することで、「このクマは山のどこから来たのか」「次にどこへ向かうか」が推定できるようになる。住民が目撃情報を細かく報告すること――場所・時間・個体の大きさ――が、地域全体の精度を上げる。スマートフォンのGPSで位置情報を添えて報告するだけでいい。
クマは凶暴化したのではない。食料を失い、追い詰められ、慣れない場所を歩いている。その移動の論理は、GISが示すように、地形に従った合理的なものだ。合理的であるということは、予測できるということでもある。
予測できるなら、備えられる。そして備えは、クマを「駆除すべき敵」としてではなく、「共存すべき隣人」として扱うための第一歩でもある。
