ジネヴラ・デ・ベンチ|レオナルドが最初に描いた「ねじれた肖像」を角度で読む

ジネヴラ・デ・ベンチ|レオナルドが最初に描いた「ねじれた肖像」を角度で読む

レオナルド・ダ・ヴィンチの女性肖像画の中で、最も気持ちが悪くなってしまう作品です。肌の白さと光沢感がどうしても受け入れられません。鼻から唇にかけての描き方、髪形と髪の色の表現といいあまりにもリアルすぎるのが一因だと思っています。

はじめに|ポートレートの印象は何で決まるのか

この「気持ち悪さ」の正体を、肩・目・鼻の線の角度から確かめてみました。ポートレートの強い印象は、顔立ちだけでなく、肩・目・鼻という3本の線の傾きの組み合わせからも生まれています。今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画4点(モナ・リザ、ジネヴラ・デ・ベンチ、ラ・ベル・フェロニエール、白貂を抱く貴婦人)で、この3本の線の角度を測って比べました。

ただし、角度が教えてくれるのは「なぜそう見えるのか」という構造だけです。説明できるのは、顔と身体のねじれが生む硬さや近寄りがたさまでで、肌の白さや光沢、鼻から唇の描き方、髪の表現といった質感は説明できません。誰が、いつ、何のために描かせたのかも、数字からは分かりません。

なお、現在の肌の見え方は、制作当初そのままとは限りません。保存科学者のバーバラ・ベリーは、NGAの学術誌Facture第7巻の論文で、レオナルドが肌を鉛白と土色の顔料、赤く染めた毛織物の刈りくずから作った赤色レーキで描いたと述べています。赤色レーキは、天然の赤色顔料の性質からして、ある程度退色しているはずだといいます。生まれつき色白だったのか、頬の赤みが褪せたのかは、肖像からも同時代の詩からも分からない、というのが彼女の見方です。

そこでこの記事では、数字で印象の骨格を確かめたあと、中心となるジネヴラ・デ・ベンチの絵が生まれた状況に踏み込みます。20代前半のレオナルドが最初に描いた肖像画が、どんな経緯でアメリカに渡ったのかも追います。

解析結果|ジネヴラだけが、肩を逆向きに傾けている

測定した4点のうち、肩の傾きの向きが逆だったのはジネヴラだけです。しかも目の線はほぼ水平で、顔は正面を向いています。

作品肩目鼻(垂直から)鼻と目のずれ
モナ・リザ+12.6°−0.8°−1.0°−1.8°
ジネヴラ・デ・ベンチ−9.7°+0.5°+2.1°+2.6°
ラ・ベル・フェロニエール+7.6°−4.5°+0.9°−3.6°
白貂を抱く貴婦人+9.9°−4.2°+7.6°+3.4°

肩と目は、プラスが「右側が下がる」向きです。「鼻と目のずれ」は、目の線と鼻の線が直角からどれだけずれているかを示す値として扱いました。

読み取れること

  1. ジネヴラは顔と身体が逆向きにねじれている。 他の3点の肩は+7.6〜+12.6°と同じ向きに傾くのに、ジネヴラだけが−9.7°です。目は+0.5°とほぼ水平なので、顔は動かず、身体だけが傾いた構図になっています。この正面性と身体のずれが、硬質で近寄りがたい印象の一因だと読めます。ただし、これは仮説です。
  2. 目と鼻の軸は、どの作品もきっちり直角ではない。 ずれの大きさは1.8〜3.6°で、最小がモナ・リザ、最大がラ・ベル・フェロニエールです。ジネヴラは2.6°で中間にあり、制作年代に沿って一方向に増減する傾向は見られません。数値だけで「肖像画が進化した」とは言えません。
  3. 白貂は鼻の傾きが突出している。 鼻が垂直から+7.6°傾き、顔が動きのある向きへ振られています。静かなジネヴラとは対照的です。

測定の限界

  • 比較したのは4点だけで、一般化はできません。
  • 角度は画像上の特徴点の取り方に依存します。肩の線は、衣服の襟や肩の見え方にも左右されます。
  • ジネヴラは現存する部分での測定です。この板絵は下部が失われており、元の構図の肩線とは異なる可能性があります。
  • 角度は見た目の指標であり、レオナルドが意図した数値とは限りません。

背景|ジネヴラとは誰で、誰が描かせたのか

通説では、モデルはフィレンツェの銀行家アメリーゴ・デ・ベンチの娘ジネヴラです。ジネヴラは1457年生まれで、Art in Societyによれば、レオナルドが描いたのは10代の彼女です。ルイージ・ニッコリーニとは1474年1月15日に結婚しています。制作年は、NGAの作品情報で1474年から1478年頃とされます。

依頼者は二説に分かれる

依頼者は断定できていません。主な説は2つです。

  • 結婚・婚約の記念説。 NGAの記事「10 Surprising Facts」は、1474年のニッコリーニとの婚約に際して描かれた可能性を挙げています。NGAの2000年のプレスリリースも、16歳での婚約を祝う肖像だった可能性が高いとしています。
  • ベルナルド・ベンボ説。 ヴェネツィアの駐フィレンツェ大使で、ジネヴラと「プラトニックな関係」にあったとされる人物です。ルーヴルの特集は、NGAの図版を引いて1475年のベンボの依頼と説明しています。

ベンボ説の有力な根拠は、板の裏面にあります。月桂樹とヤシの枝はベンボの個人的な紋章で、赤外線調査では、ジネヴラの標語の下から別の標語「Virtue and Honor」が見つかりました。一方で、裏面の紋章にはジネヴラ個人を表す要素ばかりが並び、夫の家系への言及がないという指摘もあります。

裏面に込められた意味

裏面には、ジュニパー(イタリア語でginepro、ジネヴラの名の掛詞)、徳を表すヤシ、芸術性を表す月桂樹の輪が描かれています。巻物には「VIRTUTEM FORMA DECORAT(美は徳を飾る)」と記されています。表面でも背後にジュニパーの茂みが広がっており、髪の巻き毛と響き合っています。

制作技法の見どころ

NGAの赤外線反射像からは、顔の輪郭に沿って転写用の穴の跡(スポルヴェロ技法)が見つかりました。ジュニパーの下描きには、指でぼかした痕跡も残っています。レオナルドの手の動きが見える貴重な証拠です。

モデル特定の限界

「ジネヴラ・デ・ベンチ」という特定は、ジュニパーの掛詞と裏面の紋章に基づく推定です。ヴァザーリら古い記録はジネヴラの肖像画に触れていますが、それがこの絵だという直接の証拠はありません。別人とする説も出ていますが、今回確認できたのは学術的裏づけの乏しい資料だけなので、本記事では通説に従います。

同時期のレオナルド|20代前半、ヴェロッキオ工房の若き画家

この絵を描いた1474〜1478年頃のレオナルドは、22〜26歳でした。すでに一人前の画家として登録されていましたが、工房との関係はまだ続いていました。

  • 1466年: 14歳でヴェロッキオの工房に弟子入りしました。
  • 1472年: サン・ルカ組合(画家の同業組合)に親方として登録されました。その後も、ヴェロッキオとの協働を続けています。
  • 『キリストの洗礼』: ヴェロッキオ工房の作品で、ヴァザーリは、レオナルドが天使を描いたと伝えています。制作年代は1468〜77年頃です。
  • 1476年4月: 匿名の告発で、他の3人の若者とともに起訴されました。裁判記録によると、レオナルドは無罪になっています。このとき、まだヴェロッキオの工房に関わっていたことが分かります。
  • 1476年から1478年: 記録に乏しい時期です。この間にフィレンツェで自分の工房を持っていたと推定されています。この頃から機械装置の素描が手稿に現れ始めるとされます。
  • 1478年初め: ヴェッキオ宮殿の聖ベルナルド礼拝堂の祭壇画を受注しました。独立した注文として記録に残る最初の仕事です。
  • 1482年: ミラノへ向かいました。未完の『東方三博士の礼拝』は、アメリーゴ・デ・ベンチの家に預けたと伝わります。

レオナルドの父は公証人で、ベンチ家と長く付き合いがあったとされ、この縁が肖像画の依頼につながった可能性があります(Feinberg, The Young Leonardo)。ジネヴラの肖像は、NGAによれば、レオナルドが描いた女性の肖像3点(ジネヴラ、モナ・リザ、白貂を抱く貴婦人)の最初の作品です。

作品のその後|クラーナハ作とされた絵が、アメリカ唯一のレオナルドになるまで

この絵は現在、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アート(NGA)、ウェスト・ビルディング1階のギャラリーM6に展示されています。所蔵番号は1967.6.1で、南北アメリカ大陸で唯一のレオナルド作品です。

来歴

時期出来事
1712年以前ヨハン・アダム・アンドレアス1世侯がフィレンツェで購入したと推定されます。確実に分かるのは、1733年にウィーンのリヒテンシュタイン侯爵家が所蔵していたことです。
1780年リヒテンシュタイン家の目録で、ルーカス・クラーナハ作とされました。レオナルド作という認識が一度失われています。
20世紀前半レオナルド作品として知られるようになりました。
第二次大戦中コレクションごと、ウィーンからリヒテンシュタイン公国のファドゥーツ城に移されました。
1951年ロンドンのナショナル・ギャラリーで、リヒテンシュタイン侯所蔵品の展覧会に出品されました。
1967年2月10日フランツ・ヨーゼフ2世侯からNGAが購入しました。価格は約500万ドルと伝えられます。
1967年3月17日NGAで一般公開が始まりました。

来歴はNGAの作品ページとGoogle Arts & Cultureの作品解説に基づきます。購入価格は二次資料の情報で、公式の確認はできていません。

下部が失われた板絵

現存する板絵は下部が切除されており、元の構図には手が描かれていたとする説があります。NGAは、失われた部分を推定した復元画像も紹介しています。本記事の肩線の測定は、現存部分に基づくものです。

逸話

  • 売却の理由は息子の結婚式の費用。 NGAのキュレーター、デイヴィッド・アラン・ブラウンによると、リヒテンシュタイン侯は息子の結婚式の費用を工面するために、この絵を手放したとされます(Daily Republic)。
  • 空輸では絵に専用の座席があった。 キュレーターが付き添い、絵は機内で専用の座席を与えられました。
  • 城の地下に掛かっていた。 NGAの記事「10 Surprising Facts」によると、購入前はリヒテンシュタイン家の城の地下に掛かっていました。
  • 1969年の広告に登場した。 アメリカン・ツーリスターの広告に、この絵が使われました。
  • 今も人気が高い。 撮影や技術調査のために壁から外すだけでも、NGAには苦情が寄せられるそうです。
  • 所有者の呪いは確認できなかった。 「所有すると早死にする」といった伝承は、今回調べた範囲では出典が見つかりませんでした。

まとめ|角度が語るのは「印象の作り方」

角度の測定から言えるのは、ジネヴラが顔と身体を逆向きにねじって描かれているということです。肩は−9.7°で、比較した他の3点(+7.6〜+12.6°)とは向きが逆です。目の線は+0.5°とほぼ水平です。この組み合わせが、硬質で近寄りがたい印象を作る一因だと私は読んでいます。

一方で、角度は、誰がこの絵を欲しがったのかを教えてくれません。結婚の記念か、ベンボの注文か。依頼者の説は今も割れており、モデルがジネヴラだという特定も推定です。

測定は、4点の比較であり、現存する部分に基づいています。20代前半のレオナルドが何を試みたのかを断定するのではなく、数字が示す手がかりとして読んでください。

出典

公式・専門機関の資料を優先しました。NGA「10 Surprising Facts」の原文はこちらです。


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