- 2026年10月5日
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山と海は繋がっている|衛星データで見る富山湾のクロロフィルa濃度と、白エビを育てる水の道
「恋愛はdeepに」という言葉を聞いて、ふと思った。深く繋がっているのは、人と人だけではない。富山に……

レオナルド・ダ・ヴィンチの女性肖像画の中で、最も気持ちが悪くなってしまう作品です。肌の白さと光沢感がどうしても受け入れられません。鼻から唇にかけての描き方、髪形と髪の色の表現といいあまりにもリアルすぎるのが一因だと思っています。

この「気持ち悪さ」の正体を、肩・目・鼻の線の角度から確かめてみました。ポートレートの強い印象は、顔立ちだけでなく、肩・目・鼻という3本の線の傾きの組み合わせからも生まれています。今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画4点(モナ・リザ、ジネヴラ・デ・ベンチ、ラ・ベル・フェロニエール、白貂を抱く貴婦人)で、この3本の線の角度を測って比べました。
ただし、角度が教えてくれるのは「なぜそう見えるのか」という構造だけです。説明できるのは、顔と身体のねじれが生む硬さや近寄りがたさまでで、肌の白さや光沢、鼻から唇の描き方、髪の表現といった質感は説明できません。誰が、いつ、何のために描かせたのかも、数字からは分かりません。
なお、現在の肌の見え方は、制作当初そのままとは限りません。保存科学者のバーバラ・ベリーは、NGAの学術誌Facture第7巻の論文で、レオナルドが肌を鉛白と土色の顔料、赤く染めた毛織物の刈りくずから作った赤色レーキで描いたと述べています。赤色レーキは、天然の赤色顔料の性質からして、ある程度退色しているはずだといいます。生まれつき色白だったのか、頬の赤みが褪せたのかは、肖像からも同時代の詩からも分からない、というのが彼女の見方です。
そこでこの記事では、数字で印象の骨格を確かめたあと、中心となるジネヴラ・デ・ベンチの絵が生まれた状況に踏み込みます。20代前半のレオナルドが最初に描いた肖像画が、どんな経緯でアメリカに渡ったのかも追います。

測定した4点のうち、肩の傾きの向きが逆だったのはジネヴラだけです。しかも目の線はほぼ水平で、顔は正面を向いています。
| 作品 | 肩 | 目 | 鼻(垂直から) | 鼻と目のずれ |
|---|---|---|---|---|
| モナ・リザ | +12.6° | −0.8° | −1.0° | −1.8° |
| ジネヴラ・デ・ベンチ | −9.7° | +0.5° | +2.1° | +2.6° |
| ラ・ベル・フェロニエール | +7.6° | −4.5° | +0.9° | −3.6° |
| 白貂を抱く貴婦人 | +9.9° | −4.2° | +7.6° | +3.4° |
肩と目は、プラスが「右側が下がる」向きです。「鼻と目のずれ」は、目の線と鼻の線が直角からどれだけずれているかを示す値として扱いました。
通説では、モデルはフィレンツェの銀行家アメリーゴ・デ・ベンチの娘ジネヴラです。ジネヴラは1457年生まれで、Art in Societyによれば、レオナルドが描いたのは10代の彼女です。ルイージ・ニッコリーニとは1474年1月15日に結婚しています。制作年は、NGAの作品情報で1474年から1478年頃とされます。
依頼者は断定できていません。主な説は2つです。
ベンボ説の有力な根拠は、板の裏面にあります。月桂樹とヤシの枝はベンボの個人的な紋章で、赤外線調査では、ジネヴラの標語の下から別の標語「Virtue and Honor」が見つかりました。一方で、裏面の紋章にはジネヴラ個人を表す要素ばかりが並び、夫の家系への言及がないという指摘もあります。
裏面には、ジュニパー(イタリア語でginepro、ジネヴラの名の掛詞)、徳を表すヤシ、芸術性を表す月桂樹の輪が描かれています。巻物には「VIRTUTEM FORMA DECORAT(美は徳を飾る)」と記されています。表面でも背後にジュニパーの茂みが広がっており、髪の巻き毛と響き合っています。
NGAの赤外線反射像からは、顔の輪郭に沿って転写用の穴の跡(スポルヴェロ技法)が見つかりました。ジュニパーの下描きには、指でぼかした痕跡も残っています。レオナルドの手の動きが見える貴重な証拠です。
「ジネヴラ・デ・ベンチ」という特定は、ジュニパーの掛詞と裏面の紋章に基づく推定です。ヴァザーリら古い記録はジネヴラの肖像画に触れていますが、それがこの絵だという直接の証拠はありません。別人とする説も出ていますが、今回確認できたのは学術的裏づけの乏しい資料だけなので、本記事では通説に従います。
この絵を描いた1474〜1478年頃のレオナルドは、22〜26歳でした。すでに一人前の画家として登録されていましたが、工房との関係はまだ続いていました。
レオナルドの父は公証人で、ベンチ家と長く付き合いがあったとされ、この縁が肖像画の依頼につながった可能性があります(Feinberg, The Young Leonardo)。ジネヴラの肖像は、NGAによれば、レオナルドが描いた女性の肖像3点(ジネヴラ、モナ・リザ、白貂を抱く貴婦人)の最初の作品です。
この絵は現在、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アート(NGA)、ウェスト・ビルディング1階のギャラリーM6に展示されています。所蔵番号は1967.6.1で、南北アメリカ大陸で唯一のレオナルド作品です。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1712年以前 | ヨハン・アダム・アンドレアス1世侯がフィレンツェで購入したと推定されます。確実に分かるのは、1733年にウィーンのリヒテンシュタイン侯爵家が所蔵していたことです。 |
| 1780年 | リヒテンシュタイン家の目録で、ルーカス・クラーナハ作とされました。レオナルド作という認識が一度失われています。 |
| 20世紀前半 | レオナルド作品として知られるようになりました。 |
| 第二次大戦中 | コレクションごと、ウィーンからリヒテンシュタイン公国のファドゥーツ城に移されました。 |
| 1951年 | ロンドンのナショナル・ギャラリーで、リヒテンシュタイン侯所蔵品の展覧会に出品されました。 |
| 1967年2月10日 | フランツ・ヨーゼフ2世侯からNGAが購入しました。価格は約500万ドルと伝えられます。 |
| 1967年3月17日 | NGAで一般公開が始まりました。 |
来歴はNGAの作品ページとGoogle Arts & Cultureの作品解説に基づきます。購入価格は二次資料の情報で、公式の確認はできていません。
現存する板絵は下部が切除されており、元の構図には手が描かれていたとする説があります。NGAは、失われた部分を推定した復元画像も紹介しています。本記事の肩線の測定は、現存部分に基づくものです。
角度の測定から言えるのは、ジネヴラが顔と身体を逆向きにねじって描かれているということです。肩は−9.7°で、比較した他の3点(+7.6〜+12.6°)とは向きが逆です。目の線は+0.5°とほぼ水平です。この組み合わせが、硬質で近寄りがたい印象を作る一因だと私は読んでいます。
一方で、角度は、誰がこの絵を欲しがったのかを教えてくれません。結婚の記念か、ベンボの注文か。依頼者の説は今も割れており、モデルがジネヴラだという特定も推定です。
測定は、4点の比較であり、現存する部分に基づいています。20代前半のレオナルドが何を試みたのかを断定するのではなく、数字が示す手がかりとして読んでください。
出典
公式・専門機関の資料を優先しました。NGA「10 Surprising Facts」の原文はこちらです。
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